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3年前。

私は役所に海外移住の転出届を出し一家シンガポールへと旅だった。

その半年前の2011年3月11日…
東日本大震災という未曾有の災害が日本を襲った。

地震発生当時、私は池袋の老朽化した築30年の雑居ビルの職場にいた。

非常に大きな揺れを突然感じた後
机上の備品がバラバラ落下し慌てて机の下にもぐったが、
どうにも揺れが止まらない…

そのうち古いビルの壁がボロボロと剥がれ落ちてきた為

身の危険を感じて、10人の社員を外に緊急避難させた。

妻に電話をかけても繋がらない…
ニュースで流れる錯綜した情報…

あの日あの揺れを経験した誰もが混乱したことだろう。

私は社員全員を帰宅させ自身も自宅へと向かった。

徒歩3時間かけて家に戻ると床には落下したグラスや皿の破片が飛び散っていた。

その後、TVから衝撃的なニュースが…

福島原発事故。

「オー!チェルノブイリ!」と妻は叫んだ。

私はすぐさま航空券を予約し、妻と息子をロシアに避難させることにした。

地震の3日後の朝に成田空港に向かったが、成田までの電車もバスも動いていない。

ようやく掴まえたタクシーで空港に着くと成田の出発ロビーは外国人で溢れ返っていた。

みんな原発の話をしていた。

これから日本は一体どうなってしまうのか…?

私が海外に移住しようと決めたのはあの原発事故がきっかけだった。

その前から海外進出のことは頭にあったが、実行に移すのはまだ数年先の話と考えていた。

でも、原発事故に肩を押されて計画を前倒しすることにした。

正直に言おう。

私は放射能を恐れて日本を逃げ出したのだ。

こんなに地震の多い国に
実は54基もの原子力発電所があるなんてこの事故があるまで私は全く知らなかった。

海外に来てからその話を外国人の友達にすると皆が驚く。

原発事故当時、福島から離れた東京に住んでいる私の周りの人達は
放射能は遠くの出来事のように感じていた。

私の妻は親戚にウクライナの人間も多く
チェルノブイリの事故から数十年後に
どれだけ多くの人に後天的、遺伝的な健康被害が出て
いかに政府がそれを隠しているかをしきりに語っていた。

海外の人達と日本に住む人達では原発事故に対して温度差があるのかもしれないが、

きっと悪い状況下にいる渦中の当事者よりも
外の人間の方が状況の悪さに敏感になるものなのだろう。

中国の食品汚染や大気汚染にしても
我々日本人が考えている程、中国に住む人達は深刻に捉えていないのかもしれない。

いいや、本当は国から逃げ出したいけど生活があるからそうもいかないという人が
実は結構いるのかもしれない。

とにかく私は

こんなに地震の多い国に54基もの原子力発電所を建てている国で
自分の子供を育てるのはまっぴらだと思った。

私は日本人だが住む場所は日本じゃない場所を選んだ。

日本から逃げ出した非国民と他人から思われても構わない。

今、私はタイのプーケットで

毎日新鮮な空気を吸い
有機物たっぷりの野菜と
新鮮な肉や魚を毎日を食べて

原発汚染や食品汚染の恐怖とは全く無縁な生活を送っている。

とても幸せだ。

日本を旅立つ最後に
家族で練馬光が丘公園に行った時に撮った
3年前の写真を見ながら

私は2011年のFUKUSHIMAを思い出した…

そして最後にもう一つ…

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池田秀樹さんの投稿 2016年7月11日

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